はじめて読むひとは、ぜひ「その1」からお読みください
その十九 大団円[説般若波羅蜜多呪即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経 ]
ここまでお読みいただいてお分かりのように、般若心経は最後にきて、仏さまとの合言葉(呪)の偉大さを説いています。
——それは大きな覚りの呪だし、ものごとを明らかにする呪でもあり、この上ない呪であるし、比類なき呪なのだよ。何といっても、真実の言葉で、まったく嘘がないから、全ての苦を除いてくれるのだ——というのです。
要は、この呪だけでも、智慧を得るための力があるというのです。その真言のことをいいたいがために、延々と「生じることもなければ、滅することもなく、云々」と説いてきたわけです。
「(それでは)
[
[
「(これぞ)般若のエッセンスである」
[
訳してはいけない真言
この「
とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です。そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておきます。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」
この訳を読んで、なんだ、たいしたことをいってないではないか、と思ったら、やはり私がこの訳をご紹介したことは、間違いだったということです。でも今さら消すわけにもいきません。
真言というのは、この般若心経で説いてきたことを、総括して神秘的に象徴した呪文です。ですから、これはこのまま受け入れるべきものです。
スモモモモモモモモノウチという早口言葉があります。意味は「李も、桃も、桃の内」です。なんだ、たいしたこといってないではないか、と思う人はいないでしょう。これは内容が問題なのではありません。早口言葉として意味のある言葉なのです。
この真言の部分は、般若心経を唱えることに慣れていない方には、あれ?と思う場所です。どうしてかというと、ここまで、一つの漢字を一拍で唱えてきます。ところが、この真言の中で二回目の「波羅」と「娑婆」だけは、漢字二字を一拍で唱えることになっているからです。次の傍線の部分です。
ギャー・テー・ギャー・テー・、ハー・ラー・ギャー・テー・、ハラ・ソー・ギャー・テー・、ボー・ジー・ソワ・カー
このカラクリが分かるまでには、皆さんずいぶん苦労するようです。
さらに、最後の「般若心経」の「心経」の部分は、スピードが遅くなります。
ハン・ニャー・シーーーン・ギョーーーーという感じです。
自慢にならない早読み心経
さてこれで、短いお経といわれる般若心経について、大まかな所を字句にそって考えてきました。しかし、短いとはいえ、他のお経を読んだことがない方にとっては、わずか二百七十文字たらずでも、充分長いと思うでしょう。
ここで、時間がない時の般若心経の読み方の奥の手をご紹介しましょう。
それはこの真言の部分「
朝、般若心経を唱えようと思ったらお客さんが突然来た。時間がないので、ギャー・テー・ギャー・テー……。
道端に拝みたくなるお地蔵さまがおまつりしてある。しかし般若心経を全部唱えているゆとりがないので、ギャー・テー・ギャー・テー……。
もちろん、真言の部分さえ唱えればいいのだ、などと思わないでください。それはあくまで急場しのぎでしかありません。
よく、般若心経は
しかし、ついつい、般若心経全文を呪文のように唱えてしまう場合があります。意味など理解しないのです。前にも触れましたが、意味を考えないでいいのは、真言の部分だけです。その他は物語りとして、中国語に翻訳された意味のあることを説いているのです。
たとえ
そして、その一字一句が、日々の暮しの中や、自分の人生の中で、どういうことなのかと考えていけるようになれば、般若心経が教えとしての仏教から、歩んでいく仏道になっていくでしょう。