はじめて読むひとは、ぜひ「その1」からお読みください
あとがき
私の般若心経
大学一年の実践仏教で般若心経の読みのテストがあった。夏休み直後のことである。私以外は、その夏にお坊さんになるための最初の修行を終えた者がほとんどだったからどうということはなかった。十八歳で約四十日間毎日何回も読んでいれば誰だって覚える。私はといえば、修行もせずに自動車の運転免許を取るために教習所へ通ってしまったのだ。
さあ困った。実践仏教は本山で泊まり込みの七日間であるが、その四日目にテストをするというのである。日中は他の法要のお経の唱え方などで、「ハンニャシンギョー」という意味不明の呪文を覚える時間などない。休憩時間を利用して必死に覚えようとした。
「カンジーザイボーサーギョウジン……ジン……ジン」と詰まると、隣から「ハンニャーハーラーミーターだよ」と友人が教えてくれる。
「ああそうか。えーと、ジンハンニャーハーラーミータージーショーケンゴー……ケンゴー……」再び詰まると、「ウンカイクウドーイッサイクーヤクだってば」「なんだよ、そんなに一度に先まで言うなよ。イメージで覚えてるんだから、そんなにトントン出てこないんだってば!」
どんなイメージで覚えていたかというと「雲海という名のお坊さんが堅固な意思をもって、イッサイクーという動物のヤクを思いきって喰う」というのである。これで「堅固(な)雲海(は、)喰うぞお(ど)ー、イッサイクー(という名の)ヤク(を)」という奇妙奇天烈な映像が私の頭に想像されるという仕掛けである。当時の私にとって「ハンニャシンギョー」は全文が呪文以外のなにものでもなかったし、お経というのは、読むだけでありがたいご利益があるのだと考えていたふしがある。
テストの結果は、後日やり直すという温情あるものだった。
その翌々年の夏に修行を終えた時には、一息で般若心経が言えるようになっていた。それだけ早く読むと、他の人には「ウーーーーン」と唸っているようにしか聞こえなかったはずである。
以後、数年は意味を考えずに般若心経を唱えていた。
埋骨法要などでお墓の前で般若心経を唱える時も「あんなものはソラでも言える」と経典を持つこともしなかった。しかし、そのうちに檀家さんから「般若心経を写経してるんですけど、何が書いてあるんですか」と聞かれる機会が増えてきた。写経ブームの影響である。世に言うブラックジョークに「お坊さんと親しくなるには、お坊さんに仏教のことを聞かないことだ」というのがある。相当痛烈な坊さん批判であるが、それなりの根拠があることは否めない。
お坊さんの意識に目覚めたのは三十歳前後だったような気がする。本文中の引用で言えば「お坊さんの資格をとることは難しくない。お坊さんであることは難しい」というのが私にピッタリである。
「お坊さんである」ということに目覚めてからは、自分が僧侶としてやっていることの意味の点検を始めている。本書もその点検の中でおぼろげながら見えてきた般若心経である。
それにしても、最後のお大師さまの言葉にあるように、般若心経は仏さまがたがよってたかって、永遠に近い時間談義しても尽くせない内容を持っている経典である。それを私が「…なんだそうだ」と書くのは身の程知らずの極みであろう。お坊さんが読んだら、こりゃ般若心経の真意ではない、とご叱責を受けるところが随分あるはずである。
じつは、本書を書きあげる前に「四国遍路——裏・先達必携」なるものを書こうと思い立ち四十枚を書き、途中ではあったが、在家の友人に見てもらったことがあった。なかなか感想を言ってくれなかったが、ある時お酒の勢いで「ありゃ、お坊さんには物足りない。在家には難し過ぎる。はっきり言って面白くない」とアドバイスをもらった(……と軽く書いているが、その言葉を私への批判ではなく、貴重なアドバイスと考えられるようになるまでには一週間を費やした)。
このアドバイスのおかげで同時進行していた本書も、かなり分かりやすくしたつもりだし、私では手に余る仏教教学の迷路に入り込むことも避けることができたと思っている。その分面白くもなく、言うべきことを言っていない所もできてしまったのだが、それは次稿でやろうともくろんでいる。
冒頭の「はじめに」で宝石について書いた。自分を宝石の原石であろうなどというのは傲慢なのは承知している。しかし、「人は誰でも磨けば光る珠を心の中に持っているんです」などとお説法している以上、それも本気でそう思っている以上、自分もその中に入るはずだという甘えはお許しいただきたい。
ただ、そのことを書いてから考えた。宝石がきれいなのは、周囲からの光によってきれいに見えるのではないか。ダイヤモンドが美しいのはカットのせいばかりではない。外から入った光が乱反射すればこその美しさなのだ。これは人も同じではなかろうか。自分で光輝いていると思っても、それは周囲の人からの光によるものなのだ。
最後に、本文中でお約束した彼岸に至るための修行方法をご紹介しなくてはいけないのだが、再び親の七光を本書に取り入れることによって、せめて本書の最後の部分だけでも輝かせていただければと思う。
彼岸に至るための方法には六つの方法があると言われている。称して六波羅蜜がそれである。
この六波羅蜜については、父がかつてラジオでユニークな紹介をしたことがある。村上正行アナウンサーと父が、長屋の八っつぁんと和尚に扮して「こんにゃく問答」として掛け合いでおこなったものである。ラジオ番組からの採録であるが、これをご紹介して日々の暮しの仏道を歩む糧としていただき、お彼岸になったら「お彼岸っていうのはね……なんだそうだ」とどなたかにお伝えいただければ幸いである。
六波羅蜜の話[ニッポン放送実況より採録]
八五郎参上!こんにゃく問答
※この収録は父が住職をしていた江戸川区小岩善養寺境内から、春のお彼岸の中日に実況放送されたものです。
- 村上
- 和尚っ。
- 和尚
- はい、おはようございます。
- 村上
- いつもは電話でもって、姿は見えないけど、こうやって見ると和尚も大変な貫祿ですね。
- 和尚
- そりゃあ、そうだ。大僧正だからね。
- 村上
- この寺は、たいぶ古いんでしょう。
- 和尚
- これは四百五十年程前の記録はあるんですよ。
- 村上
- それ以前は何百年前になるのかわからない?
- 和尚
- ああ、わからない。
- 村上
- 境内も広いですね。
- 和尚
- そうだね、三千八百坪ほどある。
- 村上
- 朝、掃除するだけで大変な運動になりますね。
- 和尚
- そりゃ、屈伸運動とか「のびのび体操」(※番組中でやっていた体操)やらなくても間に合うよ。
- 村上
- どうも、自分の陣地来ると、和尚、強いなあ。ところで、暑さ寒さも彼岸までって、春と秋とのお彼岸じゃ、春のほうが寒いそうですね。
- 和尚
- ああ、今朝なんかはガタブルだね。
- 村上
- この彼岸ですけど江戸っ子はよく「ひ」と「し」が言えないから、「しがん」なんていいますが、「しがん」と「ひがん」じゃえらい違いでしょ、こりゃ。
- 和尚
- 「しがん」というのはつまり「迷いの岸」。我々の住んでいる所が此の岸、つまり此岸だ。これに対して「ひがん」というのは悟りの、彼の岸、向こう側だ。
- 村上
- で、和尚はその中間くらいにいるわけですか。
- 和尚
- 毎日、こちらからあちらへ行ったり、また帰ってきたりしてる。(笑)
- 村上
- 行ったり来たり、迷ってるな(笑)。で、お彼岸っていうのはどういう功徳っていうか、あるんですか。
- 和尚
- うん、お彼岸っていうのはこれが、フセ、ジカイ、ニンニク、ショウジン、ゼンジョウ、チエ、のロッパラミツって言うんで……。
- 村上
- だめだよ、ドイツ語で言っちゃ。(笑)。
- 和尚
- そう思ったから、和尚がね、例によって、わかりやすくアレンジをして説明をしようと……。
- 村上
- はい。
- 和尚
- えー、お彼岸は修養週間でございまして、一週間ございまして、第一日目が煩悩の川を渡るんだけど、何県にある川というんじゃない、めいめいの心の中にある川です。
- 村上
- はい。
- 和尚
- 第一日目に渡る川は「我利我利川」という川です。これは自分さえ損しなきゃいい、儲かりゃいい、出すのは舌を出すのも嫌だという川で、ここに立つ波が「けちんぼう波」とか「がっつき波」。
そこを「ほどこし丸」という船に乗りまして、掛け声も「恵もう、分けよう、与えよう、ヨイサカ ホイ エイサカ ホイ」と悟りの岸へ渡るのが第一日目。 - 村上
- はいはい。
- 和尚
- 第二日目は「でたらめ川」という川だ。あっちへ曲がったりこっちへ曲がったり、まことにもって無節操な川だ。で、これに立つ波が「いいかげん波」に「でまかせ波」なんてね、村上さんに似てらあね、そういうところ。(笑)
浮かべる船が「慎み丸」という。ね、「心をしめよ、身をしめよ」と悟りの岸へ漕ぎ渡るわけだ。
第三日目は「いらだち川」といってムカムカイライラ当たり散らかす川だ。ここへ立つ波が「怒り波」とか「恥かき波」。
この川へ「我慢丸」という船を浮かべまして、「腹立ちしのべ、恥しのべ、エイサカ ホイ ヨイサカ ホイ」と悟りの岸へ到着いたしまして、彼岸の中日、ちょいと一休み。と、こういうわけだね。(笑)。 - 村上
- へえ、なるほど。いやぁ、俺はだいたい無口ですからねえ。まあ、続き聞かせて下さいよ。
- 和尚
- 第五日目になると、渡る川が「怠け川」と申しまして、何をするのも面倒くさい。またの名を「ものぐさ太郎」という川。ここへ立つ波が「ぐうたら波」とか「横着波」なんてぇ川。
この川へ「がんばり丸」という船を浮かべて「精出せ、根出せ、力出せ、ヨイサカホイ、ヨイサカホイ」と渡ってまいりまして、お次は六日目。これが「騒がし川」という川だ。これはまあ、あんたみたいに陽気に騒ぐのも、余り過ぎると煩悩だね、これも。 - 村上
- へえ、何でも人を悪くすりゃぁいいと思ってら。
- 和尚
- この川に「がやがや波」とか「はしゃぎ波」なんてぇ波が立ってる。
- 村上
- なるほどねえ。
- 和尚
- ここへもってきて「静けさ丸」という船を浮かべて「騒ぐな、落ちつけ、腹すえろ」と渡り終えると、いよいよ彼岸最終日、「くらやみ川」という川だ。
ものの道理がわからない。「お先真っ暗波」だとか「わからずや波」なんてぇのが立ってる。
そこへ「智恵丸」という船で漕ぎだしまして「心を磨け、智恵磨け、ヨイサカホイ、エイサカホイ」と一生懸命こぎ渡って、めでたく悟りの岸に到達しよう、というのがお彼岸の功徳のあらましだね。 - 村上
- いやぁ、本当にありがたいお話をありがとうございました。今日はもう、つくづく和尚見直しちゃいましたよ。偉ぇもんだ、本当にねぇ。……これで僕もきっと仏さまになれますよね?
- 和尚
- ああ、なれそうですなぁ。
- 村上
- なれる、とは言わないね、本当にねぇ。(笑)。
— おわり —