はじめて読むひとは、ぜひ「その1」からお読みください
その十二 苦の原因[無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽]
苦を尽くす
仏教の出発点は「
産婦人科で誕生し、老人ホームに入り、病気になれば即入院です。そして、今や都会では九十パーセント以上の人が病院で死を迎えることになります。
お釈迦さまの弟子として、お坊さんは今こそ苦の集まっている病院に行くべきなのですが、残念ながらそれを実践すると「縁起でもない!」と塩をまかれてしまいます。何とかしたいと思います……。
さて、人生の大問題である死ですが、だいたいは病気になって死を迎えるので、病気は死にふくまれると考えてもいいでしょう。すると、人生の大問題のベスト2は「老、死」ということになります。
苦の原因
私たちのご都合通りでないという意味で「苦」の代表である「老死」。これを苦と感じるには、それなりの原因があると、昔のお坊さんは考えました。そこで「老死」の原因をさかのぼることを始めたのです。
どうして、人は老い、死んでしまうのか——。
それは「生まれた」からだ——。
ではどうして生まれたか——。
それは、両親の性欲があったからだ———。
どうして人間には性欲があるのか——。
それは人間として種の保存の本能があるからだ——。
というふうに、なぜ、なぜとさかのぼっていくこと十二段階、最後に到達した原因は、
無明というのは、はるか昔から続いている無知という意味です。何が何だか分からないでやってきているからだ、というのです。真っ暗闇では何がどこにあるのかも分かりませんし、だいたい自分がどこにいるのかさえ分かりません。そこで「明かりが無い」、無明と表現したわけです。
この「苦」の根本原因である「無明」から、今もっとも切実な問題である「老、死」にいたる「苦」を無くすことを、仏教では「尽くす」といいます。燃え尽きるの尽きるです。
ところが、すべてのものに実体などはない、と徹底して観察、分析していく仏の智慧をもってすれば、
「(そもそも)『無明』なんてものは無いし、それを無くすという『無明尽』なんてこともないではないか」
「『老死』なんてことも無いのだから、その苦を無くす『老死尽』なんてこともないのだ」
これが、
「
のいわんとするところです。